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その名、河村一実というのは、ビジネス用名称。本名は河村一美。高名な姓名判断家に企業の発展・繁栄を願い命名。平成18年7月より社名変更とともに使う。昭和33年7月岐阜県可児市に生まれる。国立岐阜大学農学部に学び、昭和56年4月、先輩を訪ね、芝草の本拠地ゴルフ場業界へ。54ホールのグリーンキーパーを経て、大手出版会社の課長に就任、その後、平成5年4月、可児市今渡にある家業の伝統的竹小舞・土壁・漆喰専門の左官業を会社組織にし、社員15名の代表取締役に就任。
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平成7年1月阪神淡路大震災直後、救援ボランティアとして現地へ。5日目に、多くの支援者から集められた緊急生活救援物資を2トントラックにて運ぶ。道路をふさいだ倒壊家屋や折れた電柱、垂れ下がった電線を迂回しつつ、陥没・崩落・崩壊・切断・黒く焼け落ちた街角を搬送した。
激震地、長田区に入った河村社長は見た。瓦は地面に埋まり、窓枠が散乱し、とうてい家とは呼べないガレキの山のどんな小さな一片、かけらにも、そこに住んでいた人々の暮らした息吹が、しっかりと残されていた。
人を育む役割の住宅が多くの命を奪ったことに強く憤りを覚えた。
被災の現場を目の当たりにした河村社長は、強い使命を感じ、大切な家族の人命を守る安全な耐震住宅を造り広めることを生涯の仕事にすると決意した。
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平成11年2月可児市広見、市役所前に進出し、耐震専門の住宅建築会社を設立。代表取締役に就任。その後、他に類を見ない建築技法で、特許庁(耐震工法/住まいの維新)(進化する骨格/住まいの維新)の商標許可を受け、日々、研究を重ね、耐震強度を建築基準法の基準を大きく上回る強度に満たして来た。しかし、自然現象である地震は、阪神淡路大震災の818ガルが上限とはいえず、新潟中越地震では、1300ガルを記録し、更に安全性の高い構造が求められてきた。
そこで、現在では、東海大地震に備え日本一の地震対策地域である静岡県西部の浜松市で、斎藤睦朗氏が開発したロケット工法を取り入れた1600ガルにも耐えうる想像を超えた最強の木の家を提案している。河村社長は、建物というものは余力をもって使うべきであると唱えている。
住まいの維新、耐震・制振住宅は、多くの方に支持をされ、時代の要を織り込む経営者としても高い評価を得ている。
また、河村社長の経験を生かした家造りと庭造りの両面を配慮した癒しの空間創りは、まさに文字通り、家と庭、即ち、家庭の円満をもたらす住まいづくりを得意とする秘訣がある。さらに、毒物・劇物及び危険物の資格を持つ河村社長は、生活を脅かす建築資材からの化学物質には特に、厳しい目で見張り、お客様への安心を提供している。
ご縁ある限り多くの方々に、幸せな家庭になって頂きたいという願いがそこにある。
人柄は、どこか重厚感がただよう、落ち着いた態度の中に、親しみのある気さくさと礼儀正さを身に付けている温厚な人物。また、直感力にすぐれ、チームワークを大切にする調整型の人で、限りなく情熱と志をもっている人物だ。
(河村社長を推薦します。文責 東濃企画 山口 光則)
会社概要 |
取り扱い許可業種 |
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建築工事業 大工工事業 左官工事業 |
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